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下谷の歴史 干潟のゆくえ(本表紙)


第1章  新松戸の誕生
南関東地方の縄文時代の海と貝塚分布

海の時代

現在のこの新松戸の様子からここが大昔海であったことはなかなか想像しにくいことです。昭和47年(1972)から始まった新松戸中央土地区画整理事業の工事の際には、いろいろな場所で化石のようになった貝殻などが現れ、そのことによって新松戸低地は見渡す限りの大海原だったのではないかと考えられます。
南関東地方の縄文時代の海と貝塚分布        

第2章  農耕の時代
小金城達磨遺跡

新田開発

戦国時代の下総国東葛地方の大部分は千葉氏一族の高城氏に支配されていました。
小金城達磨遺跡        

第3章  利根川・江戸川
大利根町新川通カスリーン公園・カスリーン台風の碑

利根川

利根川の名称の由来にはいくつかの説があり定かではありませんが、万葉集に「刀禰(とね)」と記されているのが最初の文献といわれています。利根川は別名「坂東太郎(ばんどうたろう)」とも呼ばれてきました。
大利根町新川通カスリーン公園  
カスリーン台風の碑  

第4章 坂川
古ヶ崎付近(明治44年発行 坂川治水記要より)

坂川

中世期までの坂川流域は沼沢が点在する低湿地だったと思われます。坂川は自然の緩流で、下総台地からの雨水や周辺の湧水が幾筋も流れ、一本橋付近(日本大学松戸歯学部校舎裏)が大きな貯水池となって太日河(江戸川)に流れ込んでいたようです。埋没古地形の谷筋が自然流の流路であっただろうと思われます。
古ヶ崎付近
(明治44年発行 坂川治水記要より)

第5章  新松戸の都市計画事業
昭和22年の下谷

組合の誕生

昭和40年代前半までの下谷は低湿地の田園地帯でした。都心からわずかに30分という近さにありながら、区画整理事業をするまでなぜこの広大な土地が田園のままになっていたのでしょうか。
昭和22年の下谷  

第6章  下谷の生活
辻切

下谷の生活

水田耕作は3月の初め頃より共同作業で始めます。野焼・野鼠(のねずみ)駆除・道普請・用悪水路浚い、堰の修理などを終えるといよいよ農作業の始まりです。
辻切              

[ 付 録 ]

 下谷に来た行商人
唐箕売 上総産の唐箕は性能が優れ、上総唐箕と呼ばれていた。君津から馬橋駅止に数台送っておき、背負って各戸に売りに来た。
唐箕売(とうみうり)  

 まつどのむかしばなし
大だらぼう むかし、むかしの 大むかし。
大だらぼう という 大きなおとこが いました。
その 大だらぼうは、いつも あたまは くもの上に でていて、
くものない はれた日だけ、かおが みえました。
大だらぼう     大井 弘好  再話 / 成清 菜代  絵  

[ 付 録 ] 下谷に来た行商人 / 下谷の薬草 / 下谷の遊び / まつどのむかしばなし
新松戸の都市化年表 / 新松戸年齢別人口構成表(昭和61年・平成17年)
江戸川・坂川のおもな洪水と治水年表 / 単位 / 河川の地図


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